意志は結果を変えられるのか

いったい何を検索していてそんな難しい実験の話にたどりついたのか、

今となっては全く思い出せないのですが、

 

とても興味深い話を読んだことがあります。

(興味深いけれど個人的には苦手でわからない分野の話)

 

粒子とか分子とか量子とかそういったものの実験で、

Aの実験結果とBの結果との整合性が取れない。

激しく端折って簡単にいうと、電子を飛ばして、ついたてに開いた隙間を通らせたらどうなるか?

という実験で「あれ???どうなってるの?」という結果が出た。

そこで、すき間を通るときどうなっているかを観察しようとしたら、

結果が変わってしまった。

「観察しよう」という意志が働いただけで結果が変わってしまうとはどういうことか?

まだまだよくわからないことがあるんですね、という話なのですが、

 

難しくてうまくまとめられないので詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

「二重スリットの実験」

 

この話から「意志や想念は結果を変える力がある」→つまり「未来は思いで変えられる」というような

話になっていたり、

「観察機器を設置したら結果が変わるのは当たり前だ」

という人もいたり、

どちらにしても何か一言言わずにはおれないネタになっているようなのでした。

 

今となっては私自身が最初に見た記事が探し出せないのでちょっとうろ覚えなのですが、

その記事はどちらかというと「意志が結果を変える」という内容のものでした。

今回改めてこの実験に関して調べてみると、

「こんなに細かいレベルのものを扱う実験で、観察の器具が入ったら結果が変わるのは当たり前」

とする意見の方がいて、

「例えばビーカーの水の温度を測るとき、温度計をさした水はさす前と全く同じ温度で影響がない、とはいえない」

「もし温度計自体が1000度になっていたらと考えるとわかりやすい」

 

うーん、たしかに。

 

 

私個人としては、それが証明できようとできまいと、

「意志が結果に影響する」なんて素敵じゃないだろうか?

そのほうがいいな、と思います。

 

隣にイライラしている人がいたら、なんとなくこちらもいい気がしないのはなぜか。

雰囲気が伝わるからではないでしょうか。

でも雰囲気って数値化とかできますでしょうか。

 

たぶん、数値化しようと思えば出来るのかもしれません。

将来は。

でも今は出来ないのか、したい人があまりいないのか、

したくない人が多いのか?

 

 

けれど実は、いきなりくつがえすようでもありますが、

「起こっていることにあんまり意味はない」

と考えるときもありますし、

本当はそうなのかな?

と感じていたりもします。

その話は次回にでも。